- 神社・寺院の御朱印:2019.04.12~13. (金曜日~土曜日)
- 三男夫婦、孫と一緒に群馬県・谷川温泉に一泊旅行に行くことになり、待ち合わせ前に寺院を巡り御朱印を頂きました。翌日は皆で谷川富士浅間神社を参拝して、解散後に泰寧寺に行き御朱印を頂き「たくみの里」を散策して帰ってきました。
- 4月12日には群馬県利根郡みなかみ町月夜野にある「茂左衛門地蔵尊千日堂」(もざえもんじぞうそんせんにちどう) ⇒ 参峰山玉泉寺(ぎょくせんじ) ⇒ 成田山水上寺(みなかみでら) ⇒ 4月13日は谷川富士浅間神社 ⇒ 泉峯山泰寧寺(たいねいじ) みなかみ町にあるお寺、神社を巡り、御朱印を頂きました。
茂左衛門地蔵尊千日堂の御朱印
杉木茂左衛門は、沼田城主真田伊賀守信直の悪政から、領民を守るため、自らの命を犠牲に幕府に直訴した人です。
義人茂左衛門の刑場跡の碑 坂を上ると茂左衛門地蔵尊千日堂となります。(坂を上った所から入口を撮りました)
茂左衛門地蔵尊千日堂の境内です。
色々な御朱印がありました。 今日は書き手の方がいない日なので、御朱印帳を買い御朱印を書いて送っていただくことにしました。
平成31年4月12日に頂いた「茂左衛門地蔵尊千日堂の御朱印」です。
新たに買った御朱印帳です。 この新しい御朱印帳に御朱印を書いて頂きました。
見開き2ページの御朱印です。
こちらの5枚の御朱印は、順序があって「飢餓➡直訴➡召し捕り➡磔刑➡獄門」というストーリーになっています。
飢餓:綱吉将軍の頃、沼田領は重税と飢餓の為、餓死者が道端にまで転がっている悲惨な状況でした(左の御朱印)
直訴:領民が苦境にあるなか更なる苦役が課せられ、茂左衛門は重罪を覚悟の上、幕府へ直訴した(右の御朱印)
召捕:寛永寺の文箱を真似た箱に訴状を入れ直訴に成功し、郷里の状況確認に月夜野に帰ったところ捕らえられた(左の御朱印)
磔刑:幕府は、直訴は重罪なれど領民を救ったと赦免の使者を出したが到着前に利根川の河原で処刑された(右の御朱印)
獄門:晒し首にされた茂左衛門の首を領民が強奪して秘かに埋葬し地蔵の化身と千日供養をはじめた(左の御朱印)
晒し首の御朱印は・・・ 供養のために別の御朱印を買い求めました。(右の御朱印)
参峰山玉泉寺の御朱印
ご住職より、『真ん中の四角は口で「吾唯知足(ワレ、タダ、タルヲシル)」を表している』と聞きました。 この「吾唯足るを知る」という言葉は、際限なく求めるのではなく、自分にとって必要なもの、必要な量を知る。 そしてその必要なもので満足することを知る。 と言うことだそうです。
成田山水上寺の境内です。
谷川富士浅間神社の境内です。
平成31年4月13日に頂いた「谷川富士浅間神社の御朱印」(書置き)です。
泉峯山泰寧寺の御朱印
本堂右の庫裡玄関前に魚板(ぎょばん)が吊り下げられていて、御用の方は3打してとあるので、カンカンと叩くとお寺の方が出てこられました。御朱印を書いて頂きました。インターホンでなく風情があました。